【9/28佐賀地裁、全基差止・行政訴訟口頭弁論の報告】

 9月28日、玄海原発全基差止裁判第27回口頭弁論と、行政訴訟第19回口頭弁論が佐賀地裁(達野ゆき裁判長、田辺暁志裁判官、久保雅志裁判官)で開かれました。
 行政訴訟では福岡県宗像市の荒川謙一さん、全基差止では唐津市の進藤輝幸さんがそれぞれ意見陳述。
 荒川さんは、自身の機械商社勤務時代に原発を間近に見た経験や、友人から聞いた原発関連工事のいい加減さの話などから原発への疑いの念を持つようになった経緯を触れながら、被告・国が居住地によっては「訴える資格はない」とする「原告適格」を持ちだしていることに対して「3.11を経験した今、日本のどこに住んでいようと、生命・身体に重大な被害を受けることは明らか」だと訴えました。
 進藤さんは、中学校教員の時に、チェルノブイリ原発事故を受けて「原発、原爆、一字の違い。ともに人類滅ぼすよ」などと書いた当時の授業の板書を紹介。今、居ても立ってもおられる思いで、毎日辻立ちやチラシ配布活動を行っていることを触れながら、子や孫に「何故フクシマの後も原発を容認したのか」と追及されることのないよう「何としても原発を阻止したい」との思いを訴えました。

 裁判の進行としては、今回は下記のとおりの書面(地震動、火山、重大事故対策、2号機の安全性等)が出されたところですが、裁判長が「判決を見据えて、プレゼン、証人尋問など進行していかなければならない」と述べるなど、終結をにらんだものとなっています。
 この日、伊方原発差止仮処分で大分地裁が運転を認める不当決定を出しました。私たちも火山の破局的噴火問題を追加主張していますが、「社会通念」として無視してよいとする裁判所の決定が続いていることに、弁護団は報告集会で「異次元の言葉で棄却するのはとんでもない」と批判しました。
 
 裁判は大詰めです。動き始めてしまった原発を何としても止めるために、傍聴席をいっぱいにして、私たちの意志を示しましょう。
 ご注目とご支援をよろしくお願いいたします。

 

■佐賀地方裁判所
 12月21日(金)
   14:00~行政訴訟第20回口頭弁論
   14:30~全基差止第28回口頭弁論
 3月22日(金)佐賀地裁
   14:00~行政訴訟第21回口頭弁論
   14:30~全基差止第29回口頭弁論

■福岡高等裁判所:仮処分抗告審
 10月29日(月)
   13:15~福岡高等裁判所前集合・門前集会
   14:00~福岡高等裁判所10階1015号法廷にて
      再稼働差止仮処分第2回審尋(プレゼン)
   終了後17時頃~ 記者会見・報告集会

 

※この活動は一般社団法人アクト・ビヨンド・トラストの助成を受けています。


■行政訴訟 意見陳述

1. はじめに
 私は、玄海原発から直線距離にして約77kmに位置します福岡県宗像市に住む 荒川謙一と申します。
 私は、学業を修めてから機械専門商社の勤務で23年間、整体師として個人開業し23年間、「心身ともに自然体」をモットーに、人々に「今日を生きるための役に立ちたい」と思って従事してきました。

 

2. 私と原発
 私が5歳の頃、母から「放射能の雨が降るよ!頭を濡らしたら禿げになるから・・」と脅され、雨が降り出すと頭を庇って必死に走るという緊張体験を覚えています。後で知ったのですが、1954年3月はビキニ環礁水爆実験による被ばく事故で、静岡県焼津のマグロ漁船・第五福竜丸のことが日本中を騒がせていた頃でした。
 時が流れて、放射能の怖さのイメージは薄れ、‘70年大阪万博(日本万国博覧会)の頃には、九州電力に勤めていた叔父から「これからは原発の時代だ」と自慢話を聞かされ原発の平和利用は人類の進歩と理解したように思います。
 その後、東京で機械専門商社に就職。‘73年オイルショックを経験する中、自分の仕事も、マシン・テクノロジーの進歩で「便利快適」な世の中に貢献すると自負していました。
 ‘84年伊豆大島の三原山が活発化、静岡県で地震が頻発していた頃、私は東芝の担当者と一緒に浜岡原子力発電所に行く機会を得ました。初めてサイトバンカー建屋という所まで入ったのですが、砂丘の中に異様に建つ原発は、東海地震に襲われて耐えられるのか言葉にできない不安を感じました。そして、‘86年4月チェルノブリ原発の爆発事故が世界を震撼させたのです。日本の政府も原発従事者も「ロシアの原発は旧式(ボロ)だから、日本では事故など絶対起こらない」と発言しましたが、私が真に原発の科学と政策を疑い出したのはこの頃からです。それを裏付けるように90年代になると、「もんじゅ」の冷却材ナトリウム漏洩火災「JCO」の臨界事故など、あわやチェルノブリ寸前状態が発生し、これら事件を学べば学ぶほど不安はさらに深まり、原発の安全性技術は殆ど躍進してないと分かってきました。
 原発で働く大工さんを父に持った私の友人はこう言いました。「親父は、定期検査時の仕事を終えて帰って来ると、『あんなことをやっていたら、原発はいつか必ず事故を起こす』と言うのが、晩酌時の口癖でした」と。安全に関わる工事内容さえ予算の都合で簡単にランクダウンさせ、責任持てませんよと申し出ても「下請けはいくらでも居る」と脅され、指示通りやるしかなかったそうです。他の孫請け業者からもオフレコの話「配管の劣化隠し」「不良溶接」「報告書データ改ざん」等々、安全性無視の不正や真実の隠ぺい、例示に苦労しないくらい聞きました。
 裏付けるように、玄海原発でも配管類トラブルが続きます。今年3月、3号機の配管穴あき蒸気漏れ、5月には4号機の一次系冷却材循環ポンプ事故も再稼働の前後に起こったばかりです。神戸製鋼グループの組織ぐるみの製品や部材のデータ改ざんは、全国の原発の関わりを調査しなければならない不祥事でした。
 「耐震をはじめ安全余裕をしっかりと守って堅固な設計で作られている」という推進者側の言葉は、やっぱり安全神話だったと思います。

 

3. 原告適格ということについて
 私は、この行政訴訟の原告として4年10ヶ月になります。被告・国は、答弁書で最初に「原告適格」を問題にしながら、「もんじゅ」「六ケ所」「東海第二」「柏崎刈羽」原発訴訟の例を挙げ、北海道のような遠隔地に居住する者は、其々が生命・身体に重大な被害を受け得ることを自ら主張立証できなければ、原告資格がないと述べています。しかし、原発や核燃料施設からの距離と事故被害について、裁判所が判じたのは、いずれも‘11年の3.11フクシマの事故前でした。国が、電力会社が、「日本の原発は安全です。絶対にチェルノブイリのような事故は起こしません」と言い切っていた頃の判断です。全く想定外だった、超大な自然力の前に我々は無力であったと認めた時から、すべてが変わっているのです。
 福島原発が10m以上の津波に襲われると全電源喪失の指摘を受けた国会が‘09年度、それを無視した国と電力会社。その為に起きてしまった二年後の福島の反省から、想定外の原発過酷事故を全く無くそうと考えれば、PAZ(5km圏内)とかUPZ(30km圏内)で囲うような過小評価はできない筈です。しかし今でも、40km超えの飯舘村農家・酪農家の悲劇は完全無視されています。
 大地震が起き、その後大津波が襲う、風がどのように吹いているか、台風や豪雨や竜巻が重なるかもしれない、もっと歴史を紐解けば、大地震の連動、阿蘇山カルデラ破局的噴火、誰が明日起こらないと断言できるのでしょうか!
 福島は、国際原子力事故評価尺度で「レベル7」の史上最悪の原発事故となりました。しかし一方で、非常にラッキーだった面がありました。4号機での炉心シュラウドという支持構造物の交換工事が予定通り3月9日に終わっていたなら、11日は原子炉ウェルやDSピットに存在した水は既に抜かれゼロ、この水が補給されて冷やされることは全く無かったのです。使用済み燃料プールの水は完全に干上がり、燃料露出しメルトダウン。作業者は誰も現場に近付けない状態になったという推論があります。当時、原子力委員会の委員長だった近藤駿介氏が試算した最悪のシナリオもありました。このケースでは、少なくとも170km圏内の人々の全員避難、250km離れた東京も被曝地となり「東日本」が壊滅状態になるのでした。 今日、飛行機を使うなどすれば、私たちは4時間もすれば九州から北海道に居ます。瞬く間に起こる最悪のシナリオでは、私たちが日本のどこに住んでいようと「生命・身体に重大な被害を受け得る」ことは明らか、距離を理由に「被害を受けるかどうか」「訴える資格あるかどうか」など主張立証を要求するなど全く無意味だと思います。

 

4. 2011年福島第一原発事故による教訓は・・・
 今月(9月)6日未明の北海道胆振(いぶり)地方を最大震度7の巨大地震が襲いました。直ちにその影響で、北海道内全域が大停電(ブラックアウト)に陥りました。厚真町の震源地から約120kmに位置する泊原発はわずか震度2でしたが、停止中の3基は地震発生後より復旧まで約10時間も電源を失いました。この間、非常用発電機6台をフル稼働させて使用済み燃料プールの冷却を続けるしかない、正に綱渡り状態だったのです。
 福島第一原発事故による大きな教訓の1つは、大規模災害が起きても「絶対に電源を切らさないこと」だったはずです。しかし、今回の地震で、揺れが小さくても全電源喪失が起きる可能性があることを実証してしまいました。経済産業省や北海道電力の対応は、『お粗末』と言うしかありません。再稼働に至らせた玄海原発は本当に大丈夫でしょうか。どんな事態でも電源喪失しない対策が本当にできているのでしょうか。調べ直す必要がある筈です。3.11教訓を踏まえれば、極限的最悪なシナリオの試算を想定しつつ、全てを絶対にクリアできることが証明されない限り、原発は絶対動かしてはならないと思います。
 どうか、裁判官のみなさま、原発は国策、故に、人権さえ政治的な判断に委ねるなどと放棄しないで下さい。私たちが要求してきたすべての証拠を被告に開示させ、充分に調べ尽し、聡明な判決をして下さるように、切にお願い申し上げまして、私の意見陳述と致します。

 

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2018年9月28日 荒川健一さん 行政訴訟意見陳述
20180928玄海陳述荒川謙一●●.pdf
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■全基差止 意見陳述

陳述書

2018年9月28日
住所 唐津市
氏名 進藤輝幸

1 自己紹介

 私は1949年6月唐津市生まれの69才です。3人の子どもと4人の孫がいます。
 政治家を志して1968年九州大学法学部に入学しましたが、その直後大学構内に米軍戦闘機が墜落し、疾風怒涛の学生時代を過ごしました。中途退学や再入学など紆余曲折を経て、29才で福岡市公立中学校教諭(社会科)になりました。考えるところがあり、在職25年で早期退職し、現在は唐津市で不登校生のためのフリースクール「啓輝館」を細々と続け、14年目になりました。
 人生の岐路に立った時、その都度、損か得かよりも、自分自身が納得できるかどうかを判断の基準にしてきたというのが、私のささやかな誇りです。

 

2 私と原発
 大学に進学後、福岡市に住んだせいもあり、玄海原発の動きには無知・無関心でした。しかし、1986年のチェルノブイリ原発事故を知ってからは、社会科の授業の中で、原発の問題点を考え、「チェルノブイリは日本でも起こりうる」と伝え始めました。当時の板書内容は以下のようなものでした。
 早期退職後、唐津市へUターンを決める時「玄海原発」に近くなることが一瞬不安になりましたが、「五十歩百歩」だとも考え、転居しました。2004年5月、玄海原発からおよそ14kmの地点です。
 転居後はフリースクールの活動を中心に読書や散歩、スポーツを楽しむ悠々自適の生活を送る予定でした。ところが、プルサーマル計画が持ち上がり、黙認できなくなりました。
 本来は、首長や議会から「全住民の命とくらしに関わる大事なことだから、民意を問いたい。」と住民投票の提案があって当然なのに、住民からの要求署名が法定必要数を上回っても、「議会軽視につながる。」という本末転倒の発想で却下されました。佐賀県でも唐津市でも同じでした。
 最後の砦、司法の判断を!とMOX燃料差止訴訟の原告になりました。2回目の公判の日が2011年3月11日!
 私達の声を届かせきれなかったことがフクシマの悲劇を生んだと思えてなりません。ひとりひとりの反原発、脱原発の思いが、個々バラバラになったまま、力になりきれず、フクシマの教訓もおざなりにされていく。居ても立ってもおられぬ思いで「玄海原発反対からつ事務所」の立ち上げに加わりました。2016年8月のことです。
 同年10月以来、私はほぼ平日の毎朝、唐津市役所前で、玄海原発反対の「のぼり」を持って、1時間ほど辻立ちをしています。同じ場所、同じ時間帯なので、顔なじみの方も増えてきます。「安全神話の九電 運転資格なし」「命のことだから 廃炉あきらめません」「玄海・唐津ガン多発 経済優先を許すな」などと書いたのぼりを見て、車で通過する際、賛同のクラクションを鳴らされる方、心なしか好意的な眼差しで挨拶される方、時には「本当ですよね。」とか「頑張ってください。」「ご苦労様です。」などの声かけに勇気づけられています。
 また「玄海原発反対からつ事務所」の重点活動として、玄海町や唐津市全域へのチラシ配りを、繰り返し計画的に進めています。1年目の配布枚数6万枚を、2年目は上回りそうな勢いです。
今年7月に開設された九電・玄海原子力総合事務所が9月20日から原発5キロ圏に戸別訪問して説明活動をするということを前日に知り、私たちも住民に「原発の危険性」を知らせるために、ただちにこの日から5キロ圏での戸別訪問・チラシ配布を開始しました。「チラシに原発反対の理由を書いています。ちょうど説明に来られる九電の方に是非聞いてください」と言って渡しています。

 

3 私が原発に反対する主な理由
①「安い、安全、クリーンすべて嘘」
元首相小泉純一郎氏の言でもありますが、全くその通りです。ごまかしの計算は、賠償や復興の費用無視。「五重の安全」も「想定外」の一言で吹っ飛び、汚染水垂れ流しも止められず、「除染」も有名無実。
②最低限、「フクシマ」の後始末を済ませてからの再稼働ではないのか?
「フクシマ」の原因究明、実は想定されていた津波への無策を含め、事故の原因を明らかにし、責任をとるべき人が責任をとり、避難者が事故前の安全基準で故郷に戻り安心して生活できる条件を整えて、初めて再稼働を口にできるのではないでしょうか?「原子力緊急事態宣言」発令中のままの再稼働はありえません。
③命がけの電気はいらない。
たかが水を沸騰させるために、未だ人間の制御不能なウランやプルトニウムを使う必要がどこにありますか?放射線を即座に無効化する中和剤あるいは解毒剤を発明、実用化してから出直して欲しい。そもそも「避難計画」が必要な危険な発電はお断りです。安全ならば高圧送電の不要な大消費地に作ってください。
④地元玄海町長と佐賀県知事が同意したから問題無い?
玄海原発再稼働に同意するということは、玄海町や佐賀県はおろか、西日本一帯の人々に原発事故との無理心中を強制することに外なりません。場合によっては、日本中あるいは世界中に被害を与えます。しかも、それは、その時に生きている人々だけでなく、何世代にもわたって続きます。
玄海町長と山口祥義・佐賀県知事に、そんな権限がありえますか?

 

4 終わりに
 何度も空しい努力と思いつつも、原発反対を諦めきれないのは、何と言っても「次世代に核のツケを回すわけにはいかない。」という一念です。私自身は年齢から言って、放射能がどうあれ、さほど余命に影響はありません。けれども、今の子ども達、今から生まれてくるはずの子ども達にとんでもない影響を与え続けることは何としても阻止しなくてはと思うのです。
 もうひとつ、原発反対にこだわる理由があります。私は学生時代、父母に向って、「何故、戦争に反対しなかったのか?」「本気でみんなが反対していたら戦争は無かったはず。」と追及したことがあります。立場が逆転し、「何故フクシマの後も、原発を容認したのか?」「本気で反対したのか?」と子や孫に追及されたくないからです。
 裁判長、原発は憲法25条の「生存権」を根底から覆すものです。再稼働を認めることは、広瀬隆氏言う所の「未必の故意殺人罪」を犯すことにもなります。
 そのことをしっかり念頭に置いて公正な判決を下されることを、切にお願いして、私の陳述を終わります。

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2018年9月28日 進藤輝幸さん 全基差止意見陳述
20180928玄海陳述進藤輝幸●.pdf
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◆裁判書面

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被告 第17準備書面
2018年9月14日 被告提出:行政
20180914行政被告準17●.pdf
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原告 準部書面15
2018年9月21日 原告提出:行政
20180921行政原告準15●.pdf
PDFファイル 1.3 MB
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参加人(九電)準備書面(3-4)
2018年9月14日 参加人提出:行政
準備書面(3)〈火山〉、準備書面(4)〈福島第一原子力発電所事故から再稼働までの経緯〉
20180914行政九電準3・4●.pdf
PDFファイル 6.0 MB

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被告 準備書面14
2018年9月14日 被告提出:全基
20180914全基被告準14●.pdf
PDFファイル 4.3 MB
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原告 準備書面(19)
2018年9月21日 原告提出:全基
20180921全基原告準19●.pdf
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◆報道