【向こう岸に原発が見える馬渡島:「原発はない方がよかさい」「こんな遠くまで来てくれて、ありがとう」。口々に「原発反対」でした】

写真1:静かな馬渡港、2:港から見える原発

【向こう岸に原発が見える馬渡島:「原発はない方がよかさい」「こんな遠くまで来てくれて、ありがとう」。口々に「原発反対」でした】

 

玄海周辺は他の原発と比べて離島が多く(30キロ圏に17島19000人)、原発事故時の避難が非常な困難なものとなります。
3/31の政府交渉に参加するにあたって、住民のみなさんのお話を聞き、実際を知ろうと、26日、玄海原発から海を隔ててわずか9キロ先に位置する馬渡島を訪問し、ポスティング・戸別訪問してきました。以下、速報です。

 

写真3:歩いてポスティング
写真3:歩いてポスティング

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7名の参加で、何とかお天気ももってくれました。
馬渡島ヘは、唐津市名護屋港から定期船に乗りました。
馬渡島は人口360人。3歳未満の子どもは5、6人。
島のあちこちから対岸に玄海原発4基が並んで見えます。
馬渡島はフェリーがないので、島での移動は歩きか、島民に車を借りての移動しかありません。
船で出会った島民の方が、親切にも自家用車での案内を申し出てくださいました。もちろん、原発反対の方でした。

島へ着いたら、山の上の地区と、港の周辺組と二班に分かれて戸別訪問しました。
玄海町や島など、これまでも知らない土地への訪問はしてきましたが、「行ってみないとわからないので、先ず行ってみよう。そして、地元の人の話を聞いてみよう」と思っていつも訪問しています。すると、みなさん結構話をしてくれます。原発に反対している住民の方は、日頃思っていることをいっぱい話してくれます。

馬渡島の人たちとも色々話しができました。

山の上の教会では日曜の集まりがちょうど終わった頃で、出口のところで次々と出てくる人に資料を手渡し話もできました。
みなさんチラシを喜んで受け取ってくれ、「原発は反対よ。こんな遠くまで来てくれて、ありがとう」「原発はない方がよかさい」「時間があったら話聞きたい」と口々に反対の声ばかりでした。

 

写真4:教会の前で話し込む
写真4:教会の前で話し込む

私は、3.11以前に2007年ころから幾度か馬渡島へ通って、仲間とポスティングをしたことがあります
その時も「原発はない方がいいと思っているよ」「イカもタコも獲れんようになった」と、原発反対の声は他の地域より多かったように感じていました。
今日(3/26)訪問して、フクシマを受けて、あの時以上に原発への不信不安・不要を切実に感じておられました。

 

◆地域の世話人の方を訪問することができました
・私たち:訪問してみて島の人は「原発など要らん。でもその不安や意見をどこに言うてよかかわからん」と嘆いていました。島の人の切実な意見を何とか、唐津市や佐賀県に世話人の立場で上げていただけないでしょうか。調整も大変かと思いますがよろしくお願いします。
・世話人のおじさん:「はい、そうですね~わかりました」と何度もうなずいて聞いてくださいました。

 

◆避難場所について
世話人:

①集会所に先ず集合して、屋内退避と聞いている
②島から唐津港までの避難は、定期船でピストン輸送と聞いている。しかし、実際事故になったら、みな自分の船で逃げますよ。その際、唐津の港に船をつなぎとめる“もやい”が足りなくなる。そしたら上陸できない。(私たちは、このことにびっくりしました。船で行けば上陸できると当たり前のように思っていましたが、「緊急事態の時はもやいは不足する」という漁師さんしかわからない話でした。)
実際事故になったら、普段は長崎方面に仕事(漁)で出ていてこちらにいないことがことが多いから、直ぐ逃げたくても船がない。
③唐津からは避難先の江北町までバスで避難訓練したことはあるが、一番の問題は島を出ることができるかどうかだ。
④要援護者問題  このような避難計画の具体的な話は全くしていない。

私たち:九電のために逃げる話はおかしいですよね。
世話人:そりゃそうです(深々とうなずいておられました)。

 

◆ヨウ素剤について
・世話人:ヨウ素剤配布については、何も聞いていない。島には置いてないと思う。
(唐津市役所の話によると、「島の診療所に1800錠はおいてある」ということですが日曜日だったので診療所への確認ができませんでした)

そのあと、島民の一時屋内退避場所の新たな施設(2か所)も見てきました。
何億円かかったのかと思うような立派な放射能対策もされた施設がありました。
一見普通の体育館のような施設ですが、放射能フィルター空調施設や、除染専用のシャワー室など、事故が起きた場合に備えて対策をしています。ここまでして、なぜ再稼働するのでしょうか。

 

写真5:旅立の日に
写真5:旅立の日に

余談ですが、帰りの出航の時、テレビドラマに出る風景と同じ体験をさせていただきました。
今日は、島の中学生の男の子の旅立ちの日だったらしく、島中の先生や友だち(幼稚園から小中学生、たぶん生まれた時からのおさな友だち)が、高校入学のため島を離れる男の子を見送りに来ていました。
一緒に横で見させてもらい、思わず胸いっぱいになりました。見えなくなるまで、みんなお互いに手を振っていました。私はなんの関係もないおばさんですが、思わず手を振りました。

こんなして、島の人々は暮らしてきたんだな~と思いました。
私は、田舎育ちなので田舎が大好きです。
この昔ながらの文化が残っている田舎の暮らしを守っていきたいと思いました。
(H)
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●屋内退避施設問題は、別途アップします。

写真6:島に咲く桃の花、7:船から馬渡島にお別れ。島民のみなさん、ありがとうございました!


■動画

【玄海原発9キロの馬渡島:避難航路は原発を真横に見ながら.../船から見た、馬渡島、そして、玄海原発】
https://youtu.be/gsOiQbv_p00

 

2017年3月26日、玄海原発から北西わずか9キロに位置する唐津市の馬渡島(まだらじま)にチラシポスティング・戸別訪問に行ってきました。 原発事故時、天候が悪くなければ、船で唐津本土に逃げる計画になっています。 船はそもそも足りてるのか? 仮に船があっても、原発を横に見ながら、やや近づきながらの避難となります。 事故がどんどん進展する中、放射能を浴びながらの避難となるのではないか? ひとたび逃げたら、ふるさとの島にいつ帰ってこれるのか? 屋内退避と称して住民を離島の密室に何日も閉じ込めていいのか? 住民にこんな犠牲を強いる原発って何なのか!