差別の上に成り立つ。だから私は原発を容認できない 支える会会長 澤山保太郎

「玄海プルサーマル裁判ニュース」No.8の、玄海原発プルサーマル裁判を支える会会長の澤山保太郎の巻頭言をここに掲載します。


 東北の大震災とそれによる福島原発の大事故からはや2年の歳月が流れようとしている。

 反原発の国民世論の大きなうねりは政府をして脱原発を約束させるところまで行った。

 しかし、昨年末の衆議院総選挙で原発推進勢力が大勝利し反原発の流れに大きなブレーキがかかった。圧倒的な国民の反原発の意思は、現在の選挙制度の網の中から放出され結実されなかった。

 私が原発に反対する理由は、第1に放射能が危険だからだ。広島、長崎の原爆はもとより、南太平洋等世界各地での核実験、チェリヤビンスクなど各地の原子力施設での事故など枚挙にいとまがないほど現実に放射能の危険性が証明されてきた。とりわけ旧ソ連のチェルノブイリでの原発事故の悲惨な実態は、今その被災地の広い範囲で子供や若い世代に集中的に現れつつある。癌の増加、奇形児の出産、心臓血管系の病気の増加、精神病の増加、流産、子供の成長の遅れ・・・。

 これからだんだんと福島の原発事故でもチェルノブイリのような異常な病変が増えてくるのではないかと心配されている。

 私が原発に反対する第2の理由は、その危険な放射能の製造施設を電気が一番必要とする都会ではなく、貧しい過疎の町や村に押し付けているという点だ。原発施設を設置する法律にもそのように規定してある。放射能をまともに受ける原発内の作業員も徹底的に差別を受けて存在している。

 原発は弱い者を犠牲にして成り立たせるという制度なのだ。

 過疎の市町村は、人口が少なく、個人的にも又そこの自治体も財政的にも貧しい。

 そして、人はほとんど保守的だ。電力会社・政府と地元を仲介するのは大概保守的な議員や首長である。電力会社らは、その安全性をでっちあげて言いくるめ、大枚のお金をばらまけば用地を確保できる、と考える。その地域の者への蔑ずみをひた隠しにして甘言を弄するのである。原発推進勢力の精神構造に差別がなければ原発は成立しない。

 原発は危険であり、設立・稼働が難しいが、差別によってその困難を解決できる、となっている。だから私は原発を容認できないのである。

原発は19世紀から20世紀、21世紀にかけて繁栄した資本主義の最後の商品であろう。

 資本の増殖のためには、放射能を増殖させ人類の存続も賭ける。自分ら一代の人類ではない。これから先の未来人類の生存をも賭けて、もっとも危険な商品を生産し続けるというのである。(玄海プルサーマル裁判ニュースNo.8巻頭言)