代表の想い

玄海原発プルサーマルと全基を止める裁判の会

代表 石丸初美

 

東京電力福島第一原発事故から3年が経とうとしていますが、今日も日本は「原子力緊急事態宣言発令中」なのです。被曝の脅威にさらされながらの収束作業と、放射能汚染水の流出は今も続き、15万人を超える避難生活者のいる現実を無視して、政府・電力事業者は再稼働へ向けた動きを加速させています。この国の政治は福島を見捨てるつもりでしょうか。国民の命を第一にしないのでしょうか。私達はこのことが許せず、原発政策の本丸である国を訴えることにしました。

 

 私は2006年2月、古川佐賀県知事が「プルサーマル安全宣言」を発表するそのときまで、日本は四季に恵まれ安全な国だと、何も心配せず暮らしてきましたが、勉強会で原発の怖さを初めて知り、天と地がひっくり返るくらい愕然としました。

 

 私達はプルサーマル計画の是非を問うべく県民投票条例制定を求める署名活動を行いましたが、佐賀県議会は49,609筆の県民の声をあっけなく否決。2009年12月2日、とうとう玄海3号機で日本初のプルサーマル商業運転が開始されてしまいました。私達はやむにやまれず、2010年8月9日、九州電力を相手に提訴しました。

 

 2011年3月11日はここ佐賀地裁で第2回口頭弁論の日でした。私達は裁判所を出るや否や、それぞれ大切な家族や友人知人への安否確認の電話を入れていました。刻々と情報が入ってくる中、福島第一原発の状況がとても心配でなりませんでした。この日を境に私達は、反原発・脱原発しかないとの思いを強くし、同7月7日「玄海2・3号機再稼働差止仮処分裁判」と同12月27日「玄海1~4号機全基運転差止裁判」を次々に起こしました。

 

 これまで国も電力会社も原発は「『五重の壁』で守られているから安全だ!」と言ってきましたが、3.11で原子炉建屋は吹き飛び、膨大な量の放射性物質が日常生活へ撒き散らされました。国が住民のパニックを恐れ情報隠蔽したことで、住民は無用の被曝を強いられました。原発は危険極まりないもの、ひとたび事故を起こせば筆舌に尽くしがたい甚大な被害を及ぼすものだと、国民の前に正体を曝け出したのです。原発は人体実験です。事故が起きたら「想定外」では済まされません。

 

 3.11当日、政府は法律に基づき「原子力緊急事態宣言」を発令しました。私は座談会などでこの事を人に話す前に必ず規制庁に確認しています。何度かけたことでしょうか。昨日も「解除されていません」が答えでした。そうした中での、安倍首相の「日本の原発は世界一安全」という不条理極まりない暴言に心の底から憤りを感じています。3.11は三度目襲った核の脅威、誤った政治判断の人災です。日本経済のためとの理由で、今度は世界中に核を撒き散らす原発輸出は、罪をも犯す政策です。国民は決して望みません。

 

 国の最優先課題は「被災者救済」「事故の収束と責任追及」です。この度の事故で、苦悩と不安を抱えている全ての被災者と正面から国は向き合うこともせず、経済優先の原発再稼働など言語道断です。

 

 昨年11月18日、佐賀県議会原子力安全対策等特別委員会は原子力規制庁の担当者二人を参考人として招致し、その中で県議からの「規制基準は原発の安全性を保障するのか」との質問に、田口原子力規制庁課長補佐は「安全ですというと、安全神話になるので、そう言わない。リスクが常にゼロにならないというのを基本にしている。絶対安全な状態になるというのは永久にこない」と答えました。さらに、田中俊一原子力規制委員長も「完全な安全は保証しない」と発言しています。言い換えれば、「原発にリスクはあるから安全は保証しないと、再稼働の前からちゃんと説明していましたからね」と、国から国民は一方的に非道な宣告をされたのです。

 

 翌12月13日、県議会に招致された井野博満東大名誉教授は「新規制基準は、まるで、壊れそうな船に救命ボートをたくさんつけているようなもの。玄海原発の過酷事故時には、炉心溶融を防ぐ手段がなく、対策はすべて『付け焼刃』。『完全に安全』に近づける努力もなしに再稼働は暴挙だ。」と証言しました。国の役割っていったい何でしょうか。国民の命を守ることじゃないのでしょうか。

 

 3.11前から佐賀県や九州電力は「国が安全と言うから安全だ」と繰り返し、国は「原発事故の責任は事業者です」と言っています。市町村は「県の判断を待つ」という具合で、お互い責任のたらいまわしでしたが、3.11を受けてもなお無責任体制は変わっていません。

 

私達は地元玄海町の各家庭を一昨年、1年かけて訪問しました。

 

 「とにかく偉い人の言う通りにしかならん」
「原発が安全と言うならなぜ、避難訓練や避難道路の拡張が必要なのか」
「福島の放置された牛の映像を見て、自分も牛を飼っているが、なんとも腹立たしい」
「孫達の将来を考えると、やっぱりないに越したことはなか」
「うちは高台にある。事故が起きたら一直線で放射能が来るからもうおしまい」

 
これらは玄海町民の生の声です。日頃は近所同士で原発の話はできないそうですが、堂々巡りの胸の内を私達に話してくれます。話をしてくれた人も、してくれなかった人も、原発をすぐそこに見ながら暮らすみなさんが恐さを一番実感しておられると感じました。

 

 事故直後、佐賀に来た福島の人が「佐賀は蛇口の水がそのまま飲めていいですね。佐賀に来て久しぶりに深呼吸をおもいっきりしました。日頃からなるべく空気吸わないようにと、していたんです」と言われました。私は、水の大切さ、そして全ての生き物は大自然に守られているのだと、やっと気付かされました。 

 

 今、日本中の原発50基全部が止っています。でも国が自ら「絶対安全な状態は永久にこない」と断言する原発が再稼働したら、私たちは不安を抱えながら「どうか原発事故が起きませぬように」と祈るしかないのでしょうか。福島の人達が、原発事故直後の生々しい事実や故郷を奪われ地域社会が丸ごとなくなるという、私達には到底想像もつかない状況を語っています。重ねて、原発は事故が起きなくても、ウラン採掘から廃炉・核のゴミ処理まで命を削る被曝労働と、核のゴミを未来の人々に遺すことになってしまいました。  

 

 私達が訴えているのは、特別な問題ではありません。人間として生まれ、大自然の営みに囲まれて成長し、子どもを生み育て、日々の暮らしを繰り返し、初詣には「どうか家族元気で過ごせますように」と、普通の生活を守るための訴えです。ただそれだけです。未来の人達にも動物や植物と共存しながら、生まれてきてよかったと思える普通の生活を送ってもらいたいのです。今を生きる大人の責務としてこの国の不条理を正し、私たち自身が再び原発事故の加害者とならないよう裁判に訴えました。

 

政府は国民の声をまっすぐ受け止め、原発再稼働を止め、「脱原発」そして廃炉へと政治判断をされることを心から願います。

 

 

※佐賀地方裁判所平成25年(行ウ)第13号  玄海原子力発電所3号機、4号機運転停止命令義務付け請求事件 第1回公判(2014年1月24日)における意見陳述より抜粋。