【「海の向こうに毎日原発を見ている。逃げられん」~玄海原発から9キロ、馬渡島避難訓練見学記】

11月30日、玄海原発避難訓練。みんなで手分けして各地を見学してきました。
以下、玄海原発から9キロの島、馬渡島(まだらじま)での訓練を参観して感じたことを報告します。(他の報告も随時アップします)

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玄海原発30キロ圏には17離島に19000人が暮らしている。
その1つ、唐津市の馬渡島(人口330人)では今回初めて原発避難訓練が行われた。
島は原発から9キロ、玄海原発が海の向こう正面に見える。
避難計画では、原発事故時には島外へ避難しなくてはならない。陸地に向かうには、原発に少し近づきながら逃げることになる。もし、海が時化て荒れていたら船は出ない。その時は、「原発シェルター」に籠ることになっている。

①自衛隊ヘリでの避難
マスコミ報道では馬渡島から自衛隊護衛艦「いせ」へのヘリ移送訓練が大きく報じられたが、住民330人のうち「避難」訓練への参加は、船で20人(これに市職員27人が住民役として参加)、ヘリでは2回の飛行で6人だけだった。避難計画にはそもそも含まれていない自衛隊艦船の訓練参加が、全体の一部に過ぎないのに、訓練の「目玉」のような報道ぶりに、違和感(別の意図)を感じる。
島民の声:「天候不順の時は、船もヘリも動けない」

 

②船での避難
避難計画では定期船で島と唐津港とをピストン輸送することになっている。
訓練では、他の島の船(神集島の神集丸)と海上保安庁の船が使われた。原発周辺の島がすべて、島外避難となった時に、他の島の船が馬渡島に来る保証はない。
島は5キロ圏外であり、高線量に汚染されてから避難指示が出されることになっているが、船には放射線防護対策は特になされていない。原発を横に見ながら、放射性物質が漂う中を避難することにならないのか。
島民の声:「天気次第で、逃げられん」
「自分の漁船で逃げたいが、係留場所も限られる」

 

③屋内退避シェルター
船で避難できない時、島民は交付金3億円を使って建設された「原子力災害屋内退避施設」と、馬渡島小中学校の体育館に設置された原発シェルター(蛇腹式テント)4基に分かれて立て籠ることになる。
今回避難訓練で初めて広げることになった蛇腹式テントを見学した。
訓練では、島の消防団員4人が、バスケットボールのゴールの下に畳まれたテントを広げ、フィルター装置を接続する一連の作業を1基10分ほどで行った。しかし、設置トレーニングを受けた船員や教員らが海に出ていたら、すぐ集まれるかは分からない。
密閉シェルターの広さは1基32㎡。ここに16人が入る。
発電燃料は7日分備蓄し、空気循環装置の交換用フィルターはたくさんあるという。
食事はレトルトパックで3日分備蓄。訓練では温めていたが、シェルター内では温める器具もないので、現実には冷たいままで食するという。
トイレはテント内の風下側に簡易トイレを設置するから大丈夫とのことだった。

住民が体育館にたどり着くまでに放射性物質が付着する可能性があるが、シェルターに入る時に除染はどうするのか聞いたところ、市職員は「防護服は準備しているが、中に入る時に除染は特にしない。循環装置で空気はきれいにしますから。それに、外は20マイクロシーベルト/hの放射線量だから、そうたいして影響はありません」と、答えた。これでは、テント内に放射性物質が入り込む可能性がある。

島民の声:「ここで1週間はきついなあ」。
「腰が悪いから、学校まで行ききらん」

④安定ヨウ素剤
馬渡島は5キロ圏外なので、安定ヨウ素剤は島民に事前配布されておらず、島唯一の診療所に備蓄しているだけだ。
小中学校の訓練ではテントに入る前に、診療所に常駐している医師が簡単な説明を行ったが、個別の問診をせずに、模擬のアメ玉を配布しただけだった。去年度の向島での訓練では、ヨウ素剤の現物をその場で見せて、問診を行っていたが、それよりも後退していた。

小さなお子さんを連れて参加していたお母さん達から「子ども用に甘くなっていないのか?」「ミルクに混ぜていいのか」などの質問が相次いだ。不安の声は当然で、いろんな工夫は必要だと思うが、一番大事なのは手元に持っておいてもらうことだ。現状では、小中学校に来るまでに被ばくしてしまう。

 

⑤「親子防災教育」
テントに入る前に、市職員が「親子防災教育」として、小中学生とその親たちに講話を行った。
途中からしか参観できなかったが、最後に中学生代表が謝辞で「今日は、原爆と原発の違いがわかりました。避難方法がわかりました。ありがとうございました」と述べたのには驚いた。
原爆と原発は核分裂反応により生命を脅かす放射性物質を生み出すという点で「同じ」であり、自然災害と違って原発事故は人災であり、人の手に負えない放射能災害であるということこそ、よく理解してもらわなければならないのに。あたかも「放射能安全教育」の場のようだった。

⑥訓練に参加した島民の声
テント設置訓練を見届けた島の世話役の一人は
「テントの中に冷房もついたし、最高だね」と、はじめは冗談めかして言ったが、話していくうちに
「ちょっとはよくなったさ。ここにとどまるしかなかけんね。そりゃ、海の向こうに毎日原発見ているから、不安は不安。事故になったら…そうなったらそうなった時のことだ」と不安な気持ちを語ってくれた。

訓練の後、港周辺地区をポスティングしてまわった後、「カフェ&民宿まだらや」に立ち寄った。2年前に定年退職して、連れ合いの故郷にて開店したという。
そこで、美味しいちゃんぽんをいただきながら、常連の島の女性3名とも話がはずんだ。「原発にはみんな反対ですよ」「人間が制御しきらないことをするのが間違っていますよね」
ヨウ素剤について実物も見てもらいながら事前配布の必要さを伝えると、「訓練の時に紙には書いてあったけど、そういうことなんですか!全然知りませんでした」とびっくり。
「みなさんの中で話題にして、ぜひ声をあげてください」と、資料を渡すと、「自腹でこんな活動までしていただいて、ありがとうございます」と、言っていただいた。島まで来て、よかったなと思った。

 

⑦佐賀県知事の挨拶
山口祥義・佐賀県知事が唐津市長とともに、自衛隊ヘリで島に駆け付けた。
学校に集まった島民達に「事故が起きないよう全力を尽くす。原発だけでなくて、様々な災害、最近、雨だとか地震だとかいろんなことがあるから、しっかり考えよう」と話した。
原発稼働を容認し、住民に不安を押し付けている自らの責任を棚上げしての挨拶だった。島の人達の不安にまったく向き合っていないと言わざるを得ない。

 

⑧まとめ
避難訓練でわかった具体的な問題点を自治体、政府、九電へさらに突きつけ、住民にお知らせしていきたい。そして、原発避難計画では放射能から命を守れない、最大の原子力防災は原発を止めることだという世論を高めていきたい。

(2019.12.10 永野浩二)