【2歳の息子を抱っこしながらママが陳述@6/1佐賀地裁「この子が成長したら『お母さんはあなたのために頑張ったよ。みんなで原発を止めることができたよ』と胸を張って言いたい」】

6月1日、玄海原発全基差止裁判第26回口頭弁論と、行政訴訟第18回口頭弁論が佐賀地裁で開かれました。
3人の裁判官が全員交代して最初の弁論でした(達野ゆき裁判長、田辺暁志裁判官、久保雅志裁判官)。
行政訴訟では、北九州市の橋本加奈子さんが意見陳述。2歳の息子さんを抱っこしながら陳述することを新裁判長が認めてくれ、微笑ましい雰囲気の中での陳述となりました。途中、「いやっ」と息子さんがぐずったので、いったん中座して、他の弁論を進行。お子さんを仲間が法廷の外であやしている間に、続きの部分を陳述しました。
橋本さんは抱っこしながら、「玄海再稼働後、安定ヨウ素剤をいつも持ち歩いている。どうして電気のためにこのような不安やリスクを負わなければならないのでしょうか」「息子がもう少し成長したら『お母さんはあなたのために頑張ったよ。みんなで原発を止めることができたよ』と胸を張って言いたい」と訴えました。

全基差止では福岡市東区の松村知暁さんが「生まれ故郷は阿蘇市。小学生の頃よく遊んだ阿蘇神社の倒壊に心を痛めている。原発は大地震の可能性を無視している」「ラムサール条約の登録を目指している和白干潟を守る活動に参加しているが、放射能汚染は生き物、自然にとって最悪の環境破壊だ。再稼働してはならない」と訴えました。
原告意見陳述はこれまで法廷中央の証言台で行っていましたが、当事者席で行うことになったり、「陳述」ではなく「弁論」という位置づけ、つまり「判決の基礎」になりうる位置づけとなったり、変化がありました。

裁判の主張としては、昨年12月広島高裁が火山を理由に伊方原発差止仮処分決定を出したことを踏まえ、行政、全基ともに「阿蘇カルデラの破局的噴火により火砕流が玄海原発に到達する可能性が小さいとは言えないことから立地不適である」との主張を追加しました。
口頭弁論前に開かれた進行協議では、細かな点についての確認が矢継ぎ早にあったのですが、今後、法廷でのプレゼンの実施を含め、裁判もいよいよ大詰めとなってきました。
次回口頭弁論は9月28日(金)、次々回12月21日(金)となりました。その間に仮処分(福岡高裁)含め、さらに予定が入るかもしれません。
ご注目とご支援をよろしくお願いいたします。

 

<玄海再稼働差止仮処分抗告審 @福岡高裁>
 6月8日(金) 14:10~福岡高等裁判所前集合・門前集会
         15:00~福岡高等裁判所503号法廷
         16:00~記者会見・報告集会 日本キリスト教団福岡中部教会


<全基裁判・行政訴訟 @佐賀地裁>
 9月28日(金) 14:00~行政訴訟第19回口頭弁論
         14:30~全基差止第27回口頭弁論
 12月21日(金)14:00~行政訴訟第20回口頭弁論
            14:30~全基差止第28回口頭弁論


陳 述 書
2018年6月1日
佐賀地方裁判所 御中
住所 北九州市
氏名 橋本加奈子

 本日は意見陳述の機会をくださってありがとうございます。
 私は北九州市に住む37歳の主婦です。夫と2歳になる息子の3人で暮らしています。特別な経歴や経験も無く、ごくごく普通の主婦である私ですが、だからこそ3.11東京電力福島第一原子力発電所での事故により放射能汚染された日本での私たちの暮らしや育児について、皆さんに知ってほしいと思い今日この場に立っています。
 
 事故当時、私は銀行で働いていました。経済成長や便利さなどが豊かさの物差しとなっていて、それを疑いもしませんでしたし、自分が使う電力がどのように作られているのか、そして原発のことなど無関心でいました。しかし、あの日、事故のニュースを知ったとき、すぐに幼い頃の記憶が鮮明に思い出されました。それは母と一緒に見たチェルノブイリの子どもたちの写真展のこと、そして、「スノーマン」など絵本作家として著名なレイモンド・ブリッグズが核戦争の恐怖を描いた「風が吹くとき」というアニメーションの「こわい」記憶でした。写真展もアニメも「核の恐怖」というものが描かれ、私の心にしっかりと刻まれていたからです。
 事故から毎日ハラハラした気持ちが止まらず、しばらくはtwitterやネットでひたすらに情報を集めました。自分のため、そして関東に住む大切な友人たちのために必死でした。チェルノブイリ原発事故についても改めて勉強し、それらの情報を元に友人たちに一時的にでも避難してほしいことや、水や食べ物に気を付けてほしいことを何度も伝えました。しかし残念ながら、ほとんどの友人たちへ想いは届きませんでした。
 情報を迅速に開示しないこの国に対し、疑問と不信感が大きくなっていく中、福岡市内で原発に反対するデモがはじまり、私もひとりで参加するようになりました。そこで仲間が増えひとりひとりと話すうちに、「みんな同じ想い(疑問)を持っている」と、ほっとして救われたのを覚えています。特に避難者や小さな子どもを連れて懸命に声をあげる母親たちの言葉は切実で、まだ独身だった私も「子どもたちを守りたい」という想いに突き動かされていました。それは私の中で希望にもなっていました。
 私が街で声をあげてきたのは、怒りを発散したかったからでも、デモをすれば原発が止まるなどと考えていたからでもありません。動かずにはいられなかったという衝動と、何より原発に対して「NO」と言いたくても言えない人たちに「あなたにも仲間がいる」ということを伝えたかったのです。そして祈りや願いだけでは何も変わらないこと、小さくても行動することから社会を変えられることを自らの行動で示したかったのです。

 

 私は2014年に結婚を決めたときに、夫にお願いをしました。それは、3.11以降、日本で暮らすには原発問題、そして放射能汚染の問題に向き合わなければならないこと、もし子どもを授かれば特に日本で安心して暮らすことが困難になるかもしれないこと、もしそのように判断したときにいつでも逃げられるよう準備をしておきたいこと。同じように危機感を抱いていた夫は共感しすぐに了承してくれました。
 こうした考えに対し、世間では「大袈裟だ」「考えすぎだ」という人がいます。しかし、それは、3.11原発事故前迄には、水・米・野菜・魚など食品の(セシウムなど)放射能含有量などごく微量だったものが、2012年の事故後には、厚生労働省規制基準値を何千倍も何万倍も跳ね上げねばどうにもならなかったことで分かりますし、環境省指定の特定廃棄物という放射能が混じったゴミなどは、一般的に棄て燃やしてもよい基準値は、100bq/kg~8000bq/kgというように80倍にしないと成り立たない世界に変わってしまっていることからもよく分かるのです。福島の事故は、それまでの暮らし方や人生設計を根底から変えるほどに私たちに大きな影響を与えたのです。
 日本全国にある原発どこででも事故が起きれば、この小さな島国に安全な場所などなくなります。現在暮らしている北九州市は玄海原発からおよそ100kmの場所にあり、30kmよりはるかに圏外ですが、それでももし玄海原発で福島の事故のような過酷事故が起こった場合は、偏西風に乗って我が家にも高い値で放射性物質は降り注ぎます。チェルノブイリ事故では、爆心地から西側には300kmも飛散し、その地域は立ち入り禁止区域となっていました。更には1,200km離れたドイツにまで飛散していたそうです。放射能には県境も国境もありません。
 玄海原発3号機再稼働後は安定ヨウ素剤をいつも持ち歩いています。近所の公園に行くときも、買い物に行くときも息子のおむつと一緒に持ち歩く、日頃からこんな用心をしている母親が私だけでなく日本中にたくさんいることをご存知でしょうか。どうして電気のために国民がこのような不安やリスクを負わなければならないのでしょうか。

 

 育児のなかで私が一番気を遣うのは「食事」です。子どもたちは大人の何倍も放射能の影響を受けやすく、3.11以降の育児では「被ばく回避」の意識と知識が不可欠です。微量でも内部被ばくする可能性はあり、汚染が疑わしい食材は避けるしかありません。これは決して「風評被害」などではなく、実際に内部被ばくの恐れがあるものを体内に入れないという当然の危険回避策です。海洋の汚染は現在進行形で続いており、海産物については特に深刻に感じています。もしも玄海原発で過酷事故がおきれば、当然九州の食品が「汚染」されます。
 3月23日に玄海原発3号機が再稼働し、そしてそのたった1週間後に蒸気漏れ事故、その後玄海4号機一次冷却系ポンプ事故が起きました。九電は原子炉を止めず、私たち市民の不安にもきちんと向き合った説明をしないまま、今日に至ります。市民が不安な毎日を送っていることを、九電は理解しているのでしょうか。
 完璧な人間などおらず、ヒューマンエラーは必ず発生しています。原発も、不具合や故障、そして老朽化や劣化も起こっています。「絶対に事故が起きない」とは、国も電力会社も言えず、もし過酷事故が起きても誰も責任をとれないことは、福島の事故で実証済です。

 

 息子がもう少し成長したら、わたしはこの理不尽な事実を少しずつ教えていかなければいけません。その頃、行き場のない核のゴミで全国各地が埋まっていないでしょうか。プルトニウムの危険な黄色い看板が乱立し「立ち入り禁止区域」が拡がってないでしょうか。第二のフクシマ大事故が起きてないでしょうか。その時、「大人はこんなに危険な原発をなぜ止めなかったのか」「無責任に僕たちに核のゴミをなぜ押し付けたのか」と息子が怒ってないでしょうか。そんな未来など想像したくありません。私は息子に胸を張って「お母さんはあなたのためにがんばって反対したよ、みんなで原発を止めることができたよ」と言いたい。
 被ばく労働や環境問題、ウラン採掘の問題や核のゴミ問題に差別問題など、原発に関わるあらゆる問題を後世に残してはならないと思います。すべてが「負の遺産」です。
 「負の遺産」は一日も早く無くしたいのです。すべての原発を廃炉にすること、子どもたちの健康を守ること、これは大人たちの責任です。
 今日この場にいらっしゃる裁判長、裁判官、裁判所のみなさんをはじめ、すべての人たちが例外なく未来への責任に真摯に向き合うことで、どうか、玄海原発を勇気を持って止めてください。子どもたちに誇れる判決をしてくださるよう強く願っています。
 ありがとうございました。

 

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2018年6月1日 橋本加奈子さん 意見陳述
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陳 述 書
2018年6月1日
佐賀地方裁判所 御中
住所 福岡市東区

氏名 松村知暁

(1)
 私たちの願いもむなしく、玄海原発3号機は再稼動してしまいました。しかしながら、稼動してすぐ、配管に蒸気漏れを起こすという事故を起こしてしまいました。配管だらけの原発、しかも7年以上も動かしていなくて、きちんと点検もできていない、事故が起こって当然といえます。さらに5月2日には、4号機の原子炉容器内の放射性物質を含む1次冷却水を循環させるポンプ2台で、異常が見つかりました。もしも地震や火山、人為的ミスによる過酷事故が起こったら、誰が責任を取るのでしょうか。次から次へと事故を起こす九州電力は、原発を即刻止めるべきです。このままでは、必ずチェルノブイリや福島第一原発のような過酷事故を起こします。

 

(2)

 私の住んでいる人口157万人の福岡市は、玄海原発から40km~60kmの距離にあります。
玄海原発で過酷事故が起きれば、偏西風の影響で放射能は必ず福岡市を襲います。季節による風向きの違いはあるものの、いつの場合も風下に位置する福岡市に飛散してくるのは間違いありません。とりわけ、季節風の吹く冬の時期にはその危険がいっそう増します。
 玄海原発で福島第一原発のような過酷事故が起きれば、福岡市は飛散した放射性物質による放射能汚染は免れないでしょう。また、すごいスピードで飛来する放射性物質から避難することも不可能です。それどころか、偏西風は日本列島を全滅させるかもしれません。

 

(3)
 福島原発の事故は終わっていません。
 2011年3月11日に発生した地震と津波で、福島第一原発1,2,3号機がメルトダウンを起こし爆発しました。この時、放出された放射性物質の80%は太平洋へ飛散しましたが、20%は本州にまき散らされました。そして、その放射能は、北は岩手県南部から南は静岡県北部まで、東北・関東一円を汚染しています。しかしながら、政府は被曝許容量を年間1ミリシーベルトから20ミリシーベルトへと20倍に引き上げ、避難ではなく住民を被曝させるという暴挙を行っています。年間20ミリシーベルトいうのは、1年間で胸部X線を約1000回、毎日3回浴びる量に相当するということです。とんでもないことです。
 また、低線量でも長い期間の間、体内に取り組まれたり、吸い込まれたりして、被曝する内部被曝によるリスクを見逃してはなりません。とりわけ、猛毒のセシウムはカリウムと良く似ており、土や水に入りこんで、野菜、果物、肉、牛乳、米などを汚染します。そして、セシウム137に汚染された食物の摂取は、動植物の中で生体濃縮する傾向にあるといわれています。汚染地域に住む日本の子供たちは、同じようにセシウム137で汚染された大地に住むベラルーシやウクライナなどの子供たちのように、汚染された食物を摂取することによって危険にさらされています。32年前に起きたチェルノブイリ原発事故で、現地では今もなお放射能による汚染が続いており、ガン、白血病、心臓疾患などさまざまな病気に苦しんでいます。ベラルーシ、ウクライナ、ロシア、そしてヨーロッパの多くを汚染した、半減期が30年のセシウム137が生態系から無くなるまで、180年から320年かかるだろうといわれています。チェルノブイリの悲劇を、フクシマでも繰り返そうとしています。なんと愚かしいことでしょう。

 

(4)
 2年前の熊本の直下型大地震の恐ろしさを忘れてはなりません。
私の生まれ故郷は熊本県阿蘇市です。今もなお避難生活を強いられている被災者の方々、小学生の頃よく遊んだ阿蘇神社の倒壊、熊本城の崩落を目の当たりにして心を痛めています。
 熊本大地震で交通がいかに遮断されたか、少しお話したいと思います。
4月14日の第1回目の震度7の地震の後、山鹿にいる妹が、すぐに熊本市内にいる娘の所へ車で行こうとして5時間もかかったとのことです。通常40分位で行けるところが、いたる所通行止めなどで通れず、また渋滞にあって、とても時間がかかったのでした。
 また、阿蘇へ向かう国道57号線と豊肥線は、立野の山体崩壊で埋まり、南阿蘇へ向かう阿蘇大橋も南阿蘇鉄道の鉄橋も谷底に落ちてしまいました。そして、益城町と南阿蘇を結ぶ俵山トンネルも一時不通になりました。
 熊本市方面からは、大津町から外輪山を越えるミルクロードしかなくなり、阿蘇市へはとても時間がかかるルートとなっています。昨年秋、阿蘇長陽大橋が架かり、南阿蘇へは何とか従来どおり行けるようになりました。しかしながら、立野では、無人の建設機械が土砂を取り除く工事中で、57号線・豊肥線の開通はまだまだ先のようです。
 また、断層が走った高速九州道の嘉島ジャンクション付近は、最近まで復旧工事をしており、渋滞を引き起こしていました。このように大きな地震は交通を寸断し、すごい交通渋滞と地域の孤立化を招きます。原発との複合災害が起きれば、避難することなど不可能だと思います。
 日本中どこでも地震は起こり得ます。中央構造線は九州を横断し、各地を走る断層は網の目のように覆いつくしています。福岡でも警固断層を中心に福岡西方沖地震が、13年前に起きました。
 佐賀県には、唐津城山南断層、竹木場断層、伊万里楠久断層があります。玄海町南部には、「にあんちゃん」の映画で有名な大鶴炭鉱があり、地下は石炭層で埋もれています。佐里温泉をはじめ、北松浦各地にも温泉が湧き出ています。過去にマグニチュード6から7の巨大地震が起きた形跡が、断層に残っています。そして、福岡県沖から佐賀県にならぶ3つの活断層は、つながっている可能性が高いといわれています。
 また、世界的に見ても日本、チリ、台湾、韓国、中東、フランスなどで相次いで地震が起こり、地震の激動期に入っています。とりわけ、日本では、活断層による直下型地震は誰にも予想できず、日本列島は断層の固まりで、どこでも起こり得ることを示しています。阪神大震災、熊本大地震、2キロ四方の山が陥没してなくなり、人類史上最大の揺れを記録した岩手・宮城内陸地震など、日本中どこでも直下型地震の脅威が存在します。活断層が分からない所でも起こりえます。大地震の可能性を無視し、直下型を想定しない玄海原発は、再稼動してはなりません。

 

(5)
 私は、生活協同組合で、安心安全な食べ物を組合員のみなさんに届ける仕事をしてきました。そして、退職後、15人の仲間と一緒に、無農薬・有機肥料で野菜を作っています。
 また、ラムサール条約の登録をめざして、「和白干潟」を守る活動に参加してきました。「和白干潟」は、博多湾の奥に残された干潟で、全国では2ヶ所だけといわれる貴重な自然海岸が残っています。砂浜、アシ原、クロマツ林や雑木林、湿地などがあり、多様な生き物を育む重要な干潟です。東アジアの渡り鳥の渡りのルートにあり、ミヤコドリや貴重な絶滅危惧種のクロツラヘラサギなども飛来しています。干潟の生き物、そして自然を守る立場からは、原発事故による放射能汚染は、生き物、自然にとって最悪の環境汚染、環境破壊です。
 放射能は無味無臭で目に見えません。そして、空気、水、大地を汚染します。だから、恐ろしいのです。放射能と食べ物・いのちは相容れません。放射能と相容れない全てのいのちと地球の未来がかかっています。今からでも遅くありません。事故が起こってからでは誰も責任が取れない全ての原発を廃炉にすべきです。そして、今まで生み出した放射能汚染物質を処理するために全力を尽くすべきです。そのためにも、玄海原発の再稼動を止める判決が下されんことを切に望みます。

 

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2018年6月1日 松村知暁さん 意見陳述
20180601意見陳述松村知暁●.pdf
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◆準備書面

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被告 第16準備書面
2018年5月18日 被告提出:行政
20180518行政被告第16準書●.pdf
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原告 準備書面13
2018年5月23日 原告提出:行政
20180523行政原告準13●.pdf
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原告 準備書面14
2018年5月23日 原告提出:行政
20180523行政原告準14●.pdf
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原告 準備書面18
2018年5月23日 原告提出:全基
20180523全基原告準18●.pdf
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◆報道