【“にあんちゃんの里”、唐津市肥前町ポスティング】

1月31日、唐津の仲間が続けているチラシ・ポスティングに一緒に行ってきました。
今日は唐津市肥前町。近いところで玄海原発から4キロ。場所によっては、海の向こう、目の前に見えます。
台地で、坂道が多く、海も入り組んでいて、いざ原発事故が起きたり、地震などとの複合災害になれば、避難は非常に困難となる地域です。

 

ところで、肥前町は、ある年代より上の方達はみんな知っている“にあんちゃん”の里です!

1950年代、父母は他界し、在日コリアン兄妹4人、炭鉱での貧乏のどん底の暮らしを、末っ子の安本末子さんが描いた日記『にあんちゃん』。

10歳の少女が描く兄へのやさしさや尊敬の念に満ちた言葉が清らかに光っていて、心の背筋がシャンとさせられます。
1959年、今村昌平監督で映画にもなり、全国の学校で巡回上映会がされたそうです。
そんな末子さんの“にあんちゃん”が碑になっています。
語り継がれてほしい、ふるさとの宝を、原発なんぞに奪われたくありません。

 

◆参考:西日本新聞2016年08月10日
九州の100冊】『にあんちゃん』 安本末子 逆境にくじけない兄妹愛
https://www.nishinippon.co.jp/…/kyushu_sele…/article/265623/

 

* * * * * * *
ポスティングで聞いた声--
「原発怖かよ」
「事故になったら戻ってこれんもんね」
「原発の方から風が吹いてくる。事故になったらひとたまりもなか」
「怖いのは分かっとるけん、上が認めたからしょうがなか」
「どがんもされん」
...今日も住民から不安の声ばかり聞きました。
「佐賀市から?ありがとう」の声も。
ある70代の女性、広い庭に手入れをされていたところに声をかけてみました。
「県からの避難計画のチラシが配られた。線を引きながら見たけど、白石町(佐賀県南部)に避難しろというが行けないよ。その前に集合場所の公民館へ行かなくちゃならん。一人暮らしで車も運転できないから、坂道の下のあっちの方までどうやって行ったらいいと?隣近所で声かけあってというが、いざという時に、我先になっちゃうんじゃないかしら..。風は原発の方から吹いてくるし、うろうろして被ばくするぐらいなら、家にいなくちゃいけないのかしら?まわりは放射能?いつまでもいられないね...どがんしたらよかとね?」と心底嘆いておられました。
日々こんな不安ばかりを住民に押し付ける原発。それを放置する政治。
ポスティングするたびにその理不尽さをこれでもかというぐらいに感じます。
「私はもうここでおしまいかもしれないけど、子、孫が唐津市内にいる。原発は動かしてほしくない。前に九電の人が2人やってきて、パンフレットを置いていった時に『電気も足りているし、原発なくても何も困らないんじゃないの』って言ってやったさ。」と女性が言うので、
「そんなふうに私達自身が言っていくしかないですよね。このチラシもぜひ参考にしてください。また機会あれば一緒に役場にもいきましょうね」と行って別れました。

 

一人ひとりに伝えていくこと。
一人ひとりの声に耳を澄ませること。
千里の道も一歩から。
脱原発社会に実現に向けて、一緒に地域を歩いてポスティングしませんか?
連絡をお待ちしています。

 


●農道で出会った80代のお婆さん

「逃げんよ、逃げらるんもんね、こげな道ば・・・そこん岡に上がってみんね。あっちからいつでん風の吹いてきようと・・・・ガンの多かともしっとうくさ」 

言われるまま遠見番所跡にあがりました。 春にはさぞやと思われる桜の木々をくぐり、登りつめた先に玄界灘。 原発のドームが光っていました。」

(Kさん筆)


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コメント: 1
  • #1

    Hopi02 (火曜日, 06 2月 2018 14:45)

    ポスティング、お疲れさまです。2月11日、原子力規制委員会の面々が玄海原発視察訪問のうわさで聞きました。「原発メーカー訴訟」( http://nonukesrights.holy.jp/ )も控訴審はまったく原審を検討した形跡さえありません。・ノー・ニュークス権の確立、・原発製造メーカーの製造物責任追及の手をゆるめることなく、これまでどうようみなさんと連帯しつつ一歩さらに地道に頑張ります。ポスティングに出かけられたい様子を知りオオイニ励まされます。
    安本末子さん「にあんちゃん」わたしはNHK夕方のラジオ番組で耳を傾けていた記憶があります。今村昌平監督も創設に係わった日本映画学校がちかくの川崎市麻生区にあります。