【安定ヨウ素剤事前配布要請行動:上峰町、みやき町、吉野ケ里町、鳥栖市、基山町 / 唐津市、玄海町】


17日は佐賀県東部の上峰町、みやき町、吉野ケ里町、鳥栖市、基山町をまわりました。
吉野ケ里町では東京から避難されたKさん、鳥栖では野中さんと関東からの避難者3名も同行しました。
吉野ケ里と基山では町長本人が対応してくれました。(特に吉野ケ里町長はよかったです。)また避難者であり地元民でもある方からも話してもらったことはとても説得力がありました。
ヨウ素剤の意義、篠山訪問で学んだことなどについて話した後の相手の反応など、印象に残ったことを以下に報告します。

 

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◆上峰町
・町総務課長: 「福島事故があったんだからね~」と熱心に聞いてくれた。
・町議会事務局長: とにかく真面目な感じで、押印した陳情書にボールペンでメモをたくさん書き込んでおられました(議員に配布する時にメモをどうするのか心配です)。

◆みやき町
・町防災係: アポを入れていたが、きちんと伝わっていなかった。若い防災担当者が一応話は聞いてくれたものの、特段の反応はなし。
 (余談ですが、以前もみやき町の対応はいまいちでした。職員をどう育てているか、町長の姿勢にもよるのでしょう。)
・議会事務局:提出のみ。

◆吉野ヶ里町
・町長: 町長本人と総務課長と担当者が対応。要請文をKさんと初美さんが読み上げました。
町長「以前、唐津市の副市長も来て、避難受け入れについての話もあった。唐津から7600人受け入れることになっているが、とても受け入れられる状況ではない。新しい体育館が何年後かにできることにはなっているが。」「ヨウ素剤は初めて見た。みなさんが知事をはじめ県内の市町に対して行動を起こされているので、今後町長会や市長会などでも議題になるだろう。」「防災は原発だけでなく全体的に見直しが必要。その中に原子力も入ってくる。行政としてやるが、一人ひとりの意識が大切だ。」
Kさん「東京にいたが、チェルノブイリ原発事故後、浜岡原発が心配でヨウ素剤は購入した。3.11では12日の爆発の前に飲んだ。夫と私は40歳以上なのに1錠ずつ。苦かった。熊本地震の時は期限が切れていたので、友人がヨウ素剤のサプリをまとめて買った。事故が起きたら、もう終わりだ。子ども達には絶対放射能を吸わせたらいけない。行政としてやってほしい」
町長「どこまで行政ができるのか、という問題がある。安く手に入るのなら、個人でもできるのでは。個人個人のこころがけが必要だ」と、やや逃げ腰だったので、
「自然災害と違って、まずは九電の責任。私達も九電にそういうが、自治体からも九電や国、県にそういってほしい。そのうえで、住民に対して危険性があまりにも知らされていないので、それを行政として知らせてほしいし、最低限の備えとしてしっかりやってほしい」と念を押して要望しました。
Kさん達が取り組んでいる東日本に食材を送る活動などでも町長は理解を示してくれているそうです。今後も町長へ継続的な働きかけをしていきたいと感じました。
・町議会:締切日だった前日に提出済み。

◆鳥栖市
・市議会:中村直人議長(社民党佐賀県連代表)本人が対応してくれました。時間もなく、中身について突っ込んだ話はなし。西日本新聞と朝日新聞が取材に来られました。
・鳥栖市総務課長: こちらの説明に対して、顔を向けて話は聞いてくれるのですが、ほとんど一言も発しませんでした(あいづちなどもない)。「間」があっても、何も言わず、話がふくらみませんでした。「篠山市での費用は600万円らしいですね」とだけ言いました。ネットで調べたそうです。
 要請終了後、廊下で最後まで残った朝日の記者と話していると、鳥栖市長がスッと通りました。野中さんがすかさず「市長!」と声をかけました。「ヨウ素剤のことで陳情に来たんです。ぜひ鳥栖市でも」と話しても、市長は歩くのを止めませんでした。要請書コピーもわたしましたが、「費用がかかるんでしょ」と言いながら、去っていきました。私達の訪問のことを知っていたはずです。なのに「おつかれさまです」の一言もなく、そそくさと逃げ去る。酷い対応でした。
 野中さん達はこの市長に何度も要請し、暖簾に腕押し状態だったのですが、それでも、記者とも連携して、モニタリングポストの庁舎玄関への設置(それまでは倉庫で眠っていた)までこぎつけたのだから、市民の粘り勝ちといったところでしょうか。
 ちなみに記者とは長話になったので、野中さんと「市長は私達が帰るのを見計らって、またそこを通って、市長室に戻るんじゃないかな」などと話していたら、私達が階段をおりかけた頃、市長がまた戻っていきました。「あいつら、まだいたのか(フンッ)」って内心思っていたんでしょうね。

◆基山町
・町長:時間指定のアポはとっていなかったが、空き時間があったので、町長本人が対応。話は聞いてくれたが、次の来客があったのであまり話できず。
・議会:提出のみ。
・モニタリングポスト: 「今日は5か所まわったね~おつかれさまでした。日が落ちないうちに帰れる!」などと話しながら、一同、玄関口へ向かうと、人目のつきにくい隅っこに何やら機械が...。モニタリングポストでした!しかも、電源が入っていない!「あ~やっぱり」と苦笑い。電源の差し込み口も近くにありませんでした。「これは言っておかんばね。まったく、1つ1つ言っていかないとだめなんだよな~」と、また3階の総務課へ戻りました。
聞けば、1年に1、2回、県から指示があって、外に出して測るとか。「その時はどのくらいの数値でしたか?」と尋ねても答えられませんでした。
「常日頃から心がけておかないと、いざという時に役立ちませんから、常に表示されるようにして、職員や住民の方たちがわかるようにしておいたくださいね」
担当者は、申し訳なさそうに「つけておきます」と約束してくれました。
次に役場に来る時、どうなっているか、楽しみです。

 

18日は唐津市と玄海町をまわりました。
唐津市では、移住農業者であり子育て中のNさん含む唐津市民4人と伊藤一之市議が同行。玄海町では、玄海町の青木さんが同行しました。
唐津市では、佐賀新聞、朝日新聞が取材。玄海町では、HPを見て取材依頼のあった韓国KBSテレビの特集番組スタッフがインタビューとあわせて要請行動も取材してくれました。
 
今、玄海原発周辺では5キロ圏にしかヨウ素剤の事前配布はされていません。5キロ圏の人口は7976人で、うち、玄海町3600人(人口の6割)、唐津市4400人(人口の3%。鎮西町、呼子町、肥前町)。玄海町は人口の4割の方が事前配布されていないのです。ということで、30キロ圏外の他市町と同じように「すべての住民に事前配布を」という要請・陳情をしました。
 
◆唐津市
・保健医療課長ら2人が対応
 要請書提出の上、話もさせてほしいと伝えていましたが、部屋は用意されておらず、市長室前のロビーで受けわたしだけを想定していたようです。すぐに部屋をとってもらい、要請文の読み上げ・提出ののち、移動し、話をさせていただきました。
課長「一昨年に県が行ったヨウ素の事前配布は、県としてはその度重なる配布説明であるとか配布について努力した。平日の夜間であったりとか日曜日の昼間、夜間とか何度もやっているが、残念ながら配布率としては55.9%ということで、肝心な住民の方が受け取りに来られなかったこともありますし...それなりの手続きを取ったうえでの配布になるので今後、県とも慎重に協議が必要。市長の指示を仰いだ上で検討させていただきたい」
「県は努力したのに、住民は受け取りに来ない。だから、5キロ圏外の事前配布などやってられるか」と言わんばかりの発言でした。
篠山の事例を出して、住民の命を守るために市としてぜひ事前配布に取り組んでほしいと重ねて要望すると、「ご意見として承りました」とだけ回答。
行政は普通「できない理由」(=言い訳。よく言えば「課題」)を並べ立てるのに、それさえも言わないので、「事前配布するにあたって、具体的に何が課題になりますか?」と尋ねました。
課長「4月に異動で保健医療課に来たばかりなので、まだわかりません」「個人としての意見は控えさせていただく」「事前配布は県がやったことなので」の言葉を繰り返しました。
命にかかわることだから、必死に要望に来ている市民をあまりにもバカにした態度でした。
隣の係長が「説明会の日程を県と調整することがなかなか...」などとおそるおそる答えました。そんなのは調整すれば済む話でしょう!
「市民からの税金で成り立っている市が何を言うんですか?なんのための市役所ですか。今の話は、私は仕事してませんと言っているのと同じですよ!誰の方を向いて仕事をしているんですか!」と怒りに震えました。
課長「事前配布できるできないは、来春、3年の期限が切れて交換するので、その際にこれから検討していく...」。
Nさん「自分のは小さい子どもがいるので、事故が起きたらすぐに逃げなければならない。真剣に対応してください。まず一人の市民としてあなた自身がどうするかを考えて、上に伝えてください」
唐津は玄海町に次ぐ「原発の地元」であり、九電が政治経済を支配しているような地域ですが、住民の立場になってモノが言えない行政の姿勢は情けない限りでした。
・市議会:事務局長に陳情書を提出のみ。
 
◆玄海町
総務課長ら5人が対応。5キロ圏の配布率は78.6%。
私達「5キロで線をひかないで、全町民にどうして配布できないのか」
町「国、県の方針でそうなっているので」
私達「でも、県防災計画でも独自に配布できることになっていますよね?」
町「はい...。」
町「国の指針のとおりに5キロでやっています。」
町「福島は今も帰れないくれい汚染されたところも。住民の命がかかっています。」
青木さん「隣の小加倉地区は5キロ圏ということで配布されているが、自分の住む有浦下地区は大部分が5キロからはずれているので、5キロ圏内にかかる家もあるのに事前配布されていない。不安でならない。事前配布をお願いしたい。」
私達「いざという時、配布できると思いますか?」
町「課別に担当地区をつくって配布することにしている。住民には公民館に集まってもらって、保健課の職員が配布することになっている。」
私達「職員が全員、ヨウ素剤配布に従事できるわけではないでしょう。そもそも自家用車のある住民は、集合場所に寄らずに逃げる計画ではなかったか?」
町「公民館に集まってもらいます。20マイクロ(1週間以内の避難)、500マイクロ(1日以内の避難)で時間的余裕がありますから。」
私達「それで、どうして時間的余裕があるんですか?避難指示の時にはすでに高線量。そんな時に、被ばくしながら公民館に集まって、そのあとにヨウ素剤を配布することになるんですよ」
青木さん「夜間に事故が起きたらどうするのか。職員が集まれるんですか。家族でとにかく逃げるしかないと話している」
私達「住民の命を守る立場から、県や国に言うべきことを言ってください」
 
あまりにお粗末な計画と、当事者中の当事者だからこそ国や県に対して言えることがあるのにそれも言えないお上意識の構造に、悲しくなってきました。
 
毎日毎日、1つ1つが原発止めるための闘いです。
ヨウ素剤も、モニタリングポストも、避難計画も...止めるためにやらなければいけないことは、身の回りに限りなくあるとあらためて思いました。
“書を捨て、町へ出よう”。
意訳するなら、“ネットもほどほどにして、役場へ行ってみよう”、です!

■ヨウ素剤問題に取り組む意義、要請・陳情書はコチラから→

http://saga-genkai.jimdo.com/2016/08/06/a/


■報道

◆佐賀新聞