【「予想不能の災害は起こる。人間はもっと謙虚になるべき」--野中牧師の魂の訴え、意見陳述全文】

陳 述 書
2016 年 4 月 22 日
佐賀地方裁判所 御中
住所 佐賀県鳥栖市
氏名 野中 宏樹

1. 私は野中宏樹と申します。現在佐賀県鳥栖市において日本バプテスト連盟鳥栖キリスト教会の牧師をして
おります。宗教者の働きは、聖書で言えば、神が作られた全ての命には、等しくかけがえのない価値があるという事を広く宣べ伝える事、そしてその命が差別され、尊厳が貶められる出来事を前にすれば、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして命が守られるように行動するところにあると思っております。
2. 私が原子力の課題に向き合うようになったのは、特に13年前、佐賀県の鳥栖教会に赴任をしてきてからです。私は「核」の電気と思っているので、以下、「核発電」と呼びます。核発電の事について学べば学ぶほど、その技術は平和利用、軍事利用表裏一体であり、ウラン鉱石の掘り起こしから全ての段階にわたって、多くの命に被曝を強要することを知りました。また、核技術は、最終段階の放射性廃棄物の処理方策が全く目処の立たない未完の技術であり、私たちの後の世代に背負わせなければならない、巨大な負の遺産、命への脅威以外の何ものでもないことを学びました。それ故、宗教者である自分の責任は非常に重要であると考え、脱原発を目指して、心ある市民の皆さんと共に声をあげて参りました。
 そのような歩みの途中で、2011年3月11日に東京電力福島第一原子力発電所に於ける史上最悪の事故が起きてしまいました。この事故は第一義的には東京電力という一企業が引き起こした公害事件であります。第一義的と申し上げたのは、核発電政策を進めてきたのは、政・財・官・学・マスコミ及び、それを引き留める努力を怠った司法・宗教界にも大きな責任があると考えているからです。私たち国民も福島原発事故から逃げることは出来ません。一人一人が人ごとではなく、自分の事として考えなければならないのではないでしょうか。私にとってこの事故は痛恨の極みでした。
 
3. 私はそうした痛みを抱えながら、2011年4月から今日まで十数回福島県に足を運び続け、主に私たちの教団の福島市内や郡山市内にある教会及び幼稚園に所属する人々に寄り添いながら、必要な情報を提供し、適宜支援を行ってまいりました。また、彼らの主催する双葉郡内からの避難者の暮らす仮設住宅支援活動に参加してきました。
 震災直後、福島県内も震度6強の揺れに見舞われ、電気や水道は止まり、情報がつかめない状況でした。東京電力も、政府も、地方自治体も避難に必要とされる放射能の拡散予想図や、被曝に関する情報を一切提供しませんでした。一体何が起きているのか、どの情報を頼りにすれば良いのか分からないままでした。福島市内のある人は市内で放射線量が毎時20マイクロシーベルト(μSv)をはるかに超えていた中で、給水車を待つ長い間路上に子どもを一緒に並ばせ、子どもたちに被曝させてしまったことをひどく後悔しておられます。また当時小学生の子どもを持つお母さんから「ここに住んでいて大丈夫なんですよね」と聞かれたときには「私は安全だとは言えません」としか言いようがありませんでした。避難したいけれども避難の決断が出来ない人の苦悩の声でした。多くの住民の中にある見えない不安がいつもありました。
 日本の法令では人事院規則に基づき、3ヶ月間につき1.3ミリシーベルト(mSv)を超えるおそれがあり、毎時に換算すれば0.6μSv を超える放射線管理区域への入出に関しての厳格な法令があるにもかかわらず、それを住民たちが知らされることはありませんでした。さらに公衆の被曝許容限度はICRP(国際放射線防護委員会)1990年勧告に従って年間1m Svとされている事も、事故後全く無視されてきました。2011年8月に郡山市に行った時のことです。平均毎時2μSv 以上あった公園内で子どもたちが何の防護も施されず寝転んだりして遊んでいる光景を見て、私は唖然としました。そこは明らかに人が住んではならない地帯なのです。政府、自治体、東京電力は日本の法令を厳格に守る気もないし、そもそも福島の人々の苦悩の声に耳を傾ける気さえもないとしか思えません。
 
4. 現在佐賀県は国の指針に基づいて玄海原発事故時の避難計画を策定しています。
 先日起きた熊本地震では橋の崩壊や道路寸断、崖崩れによる交通まひが発生しましたが、原発事故避難計画ではこうした複合災害がほとんど考慮されていません。さらに、放射能の拡散は風次第なのに、避難する方向は一つのルートだけ。避難先は一人あたり2m2のスペースで計算し、1万人の太良町に伊万里市の住民8千人が避難してくるような机上の数合わせ。放射能到達前に服用しなければいけない安定ヨウ素剤が事前に戸別配布されるのは、5キロ圏内住民のみ。徹底しなければいけない放射能汚染検査(スクリーニング)は高い汚染基準の上、代表者のみでよしとする手抜き検査。SPEEDIなど放射能拡散予測をやめて実測値で避難。一日以内に避難する基準は実測値で毎時500μSvという日常の放射線量の1万倍の数値。このように問題だらけで、被ばくを前提とした、机上の計画となっているのです。
 しかも、避難計画は原発から30キロ圏内の避難しか想定していません。私の住む鳥栖市には唐津市から1万人近い住民が避難することとされていますが、原発から60キロの距離にある鳥栖市民自身の避難は想定されていません。福島第一原発から60km程の距離にあったのが福島市や郡山市でした。ひとたび原発事故が起きれば、県境をも越えて放射能汚染が及び、広域避難を強いられてしまうのです。
 福島原発事故を経た今、「想定外」という言い訳は許されません。起こりうる地震などの自然災害や過酷事故の規模や影響を改めて検討し、住民の命を守る「国家主導での具体的で可視的な避難計画」を策定すべきです。私達は家やふるさとを捨てて、いつ戻れるか分らない避難などしたくありません。
 
5.「3・11」以降、九州などへの移住を決断された方々も多くあります。彼らにはまた彼らの苦悩があります。福島県内から自主避難をして鳥栖に来られた一人のお母さんがあるときこう言われました。「何故私たちがこれほど苦しまなければならないのでしょうか。もはや原発が必要かどうかの問題ではないのです。」私もそうだと思います。電力会社は命よりも経営を優先させて考えているのでしょうが、それは倫理的に間違っています。命に優先させて良いものがこの世界にあるはずがありません。福島の人々の声を丁寧に聞けば、避難計画など成り立たない事は明らかです。「人の作った機械はいつか壊れるべ、そんな道理も分からなかったんだな。今年も墓参りに行けねえ。情けないね。」これは大熊町からの避難を余儀なくされた高齢者の方の言葉です。人の手で作った機械は必ず壊れるのです。そして放射能汚染という取り返しのつかない巨大なリスクを抱える核発電所という機械が絶対に壊れてはならないものである以上、その矛盾を解決するための方策は唯一、核発電所を廃炉にすることです。

 このたびの熊本地震では、熊本のみならず大分でも連動して発生したり、後で起きた「余震」が「本震」とされたり、専門家の予想を超えるような動きをしています。そもそも核発電所の自然災害に於ける危機管理体制は今までの経験則の中でしか考えられていません。人間には限界があり、私たちの経験をはるかに超える予想不能の災害は起こりうるのですから、もっと謙虚になるべきです。地震は止められませんが、原発を止めて原発震災を防ぐことはできます。
 「もうこのような経験をするのは私たちで十分だ」と福島に住む一人のお母さんは言われました。この言葉が胸に突き刺さります。今ならばまだ間に合います。裁判官のみなさまが、人として当たり前の
感覚で判決を出されることを心から願います。
 
以上

※2016年4月22日裁判報告はコチラから


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2016年4月22日意見陳述 野中宏樹さん
20160422意見陳述野中宏樹★.pdf
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