【住民の想いに触れた戸別訪問~12.2反プルサーマルの日 みんなで歩く玄海町】

「12.2反プルサーマルの日 みんなで歩く玄海町」行動を終えました。
参加されたみなさん、雨の中、おつかれさまでした。
2009年12月2日に日本初のプルサーマルが玄海3号機で運転強行されたことを忘れていないと示すため、私達は毎年この日に行動を起こしてきました。
戸別訪問は2年ぶりでしたが、住民の様々な声、思いに触れることができ、参加者一人ひとりが手応えを感じられたのではないかなと思います。
地元中の地元を一軒一軒訪ね歩いていく地道な活動の大事さをあらためて感じました。

◆はじめに玄海町長に対する再稼働反対の要請を行いました。
「これ以上負の遺産を増やすのは未来への罪。再稼働はやめてください」と要請書を読み上げた上で、福岡や佐賀、唐津、各地からの参加者が玄海町に来た思いを伝えました。
町からは財政企画課長ら4人が対応。課長の「個人的意見はひかえるが、公務員として、国で決まったルールに従ってやっていきます」との発言に、私達は唖然。「事故が起きたら九州や西日本一帯に被害が及ぶことをどう考えるですか!」「公務員である前に人間としてどう思うんですか!」との声に、課長らも険しい顔つきに。
毎年高知県から駆けつけていただいている澤山保太郎・前高知県東洋町長(裁判を支える会会長)は、高レベル核廃棄物の問題が浮上した時に町職員が住民の立場に立って動いてくれたことを紹介しながら、「特定の政治家のためではなく、国民に平等に奉仕するのが公僕たる公務員の役割だ!」と喝破されました。
私達の想いを町長や議員にももちろん直接伝えていきたいところですが、職員一人ひとりにもこのようにまっすぐに伝えていくことが、硬い硬い岩盤をいずれ壊していくことにつながっていくと信じたいです。

地元玄海町から唯一参加された青木一さん(9月の裁判での意見陳述者)は「原発があればお金がくるといっても、必要なところに全然使われていない。核廃棄物は誰も受け入れるところはなく、私達が抱えて死んでいくしかないだろうと思っている...。こうやって玄海町に来てくださっているみなさんと一緒に、原発がなくてもいいようなまちをつくっていきたい」と話されました。「核廃棄物とともに死んでいく覚悟」を地元住民に押し付け続けては絶対になりません。

◆佐賀県内全市町に対して提出している「九電による住民説明会を議会として申し入れることを求める陳情」を玄海町議会にも提出した後、36人の参加者は3人×12班に分かれて、戸別訪問へ向かいました。
資料3点を町民のみなさんに「××部、配布しました!」という数をこなすことではなくて、直接お話を伺うことを優先しました。
戸別訪問活動終了後、全体交流会で見聞きしたことを報告しあいました。
みなさんからの感想は、これから寄せられてくると思うので、別途紹介したいと思います
以下、私Nの見聞きしたことを記します。

◆原発から2,3キロの地区の戸別訪問記
・飲食店:冷たく「そこに書いてあるでしょう」と、入口に貼ってある「セールスお断り」のステッカーの方を示された。

・年配の女性:「いいです」

・女性:玄関と門が遠くて、門まで出てこず、ポストに入れただけの人も。

・60代男性:「電気店経営をしていたが、量販店などにはかなわなず、すでにやめている。親戚3人が関連会社に勤めている。息子たちは福岡などに出て行った。帰ってきてとはいえん。事故が起きたら、どうにもらならない。原発ができる頃は反対賛成半々だったが、仕方んなか。仕事がない。農業だけじゃ食えない。出稼ぎしなくてすむようになった。結局、みんなカネだ。議員や町長らが自分のもうけのために。唐津市が合併した時も、玄海町は一部のもんが自由に使えるお金がなくなると合併しなかった。交付金でつくる建物も、どんどん建設費をあげて、ふつうの2倍くらいのコストになっている。今年できた小中一貫校の校舎もホテルのようだ。今日はありがとう」

・60代男性:「福岡で仕事をしているが、90歳の母が一人でここに住んでいるので月1回帰ってきている。母は町長の親父と同級生。
嫁は正月などにここにくると、『早く帰ろう』と袖をつかんできたりした。爆発するとこわいからって言っていた。
かつては「日本のチベット」という言い方をされた。自民党の保利茂の影響力が大きくて、空港建設の話まであった。そして原発。町長や議員の利益のためだ。前町長か現町長かわからないが、九電社員が町長選の時の演説原稿まで書いたという話を九電社員から聞いた。
関西で広告代理店(関西電力からの出向者が役員)の仕事をしていた時にあった話。社員が、漁民になりすまして「原発の排水で魚が放射能に汚染されるということはまったくない。安心して食べれます」ということをハガキに書いて、わざわざ福井まで行って郵便ポストに投函してきた、ということがあった。
町長は自分の高校の1年後輩だ。ずっと年上に見えるけど。他にもいろんなつながりがあるし、隣近所みんなどこの誰というのがわかっている。その中にいると、なかなか見えなくても、いったん外に出ると、この町のおかしいところがよくわかる。外にいては、口出しをしにくいのだが。」
(※町内のこと、外から見た異常さを、非常に整理して話をしていただいた)

・70代おばあちゃん:「原発は台所からいつも見えています。こわか。避難訓練あったらしいが、自分は病院に行っていて参加していない。今日はありがとうございます」

◆感想まとめ
住民のみなさんは、原発の「恩恵」が一部のものにしかないこと、その構造をよくわかっている。
しかし「仕方んなか」。この地に住んでいくしかないんだと。
だから、露骨に私達のことを拒絶する人もいる。
だけど、「ありがとうございます」と言ってくださる方もいる。
外の人間だからこそ、逆に話をしやすいと思って、想いのたけを語ってくれる方もいる。
表だってはできなくても、思いは一緒の方がいる。
日本全国どこにいても原発の「被害地元」であって、内側も外側もないんだけど、玄海町の方から見れば、自分は外側の人間。
まずは、内側の立場に寄り添って、ものを見て、感じて、そこから、一緒にやっていけることを模索していきたいと思いました。
戸別訪問活動を継続していきましょう!
どこかで突破口が開けていくような気がしています。

報道

佐賀新聞