【「這えば歩めの親心」...佐賀地裁にて、福島からの証言】

※写真=MOX判決に際してあきさんが手づくりで送ってくれたミニ横断幕とともに入廷しました。
※写真=MOX判決に際してあきさんが手づくりで送ってくれたミニ横断幕とともに入廷しました。

 11月20日、佐賀地裁にて玄海原発行政訴訟(被告:国)第7回口頭弁論と、玄海全基運転差止裁判(被告:九州電力)第14回口頭弁論とが行われました。
全基差止裁判では10月30日に追加提訴した226名も今回から原告席に加わりました。
その一人、福島県郡山市在住の橋本あきさんに意見陳述をしていただきました。
あきさんは3.11直後の福島の様子、娘さんとお孫さんが避難するまでの迷い、子どもを外で遊ばせられない今の状況などを、辛さ悔しさをにじませながら、語られました。

“「這えば歩めの親心」という言葉がありますように、赤ちゃんがハイハイをして立ち歩く過程を考えれば、赤ちゃんをここに置くわけにはいかない”
“日常的なことですが想像してください。洗濯物やふとんは外に干せない、外出するときはマスクをする、靴は帰宅の度に底を洗う、窓は閉め切る、換気扇や掃除機は使わない、極めつけは子どもは外で遊ばせない、等々の指示が発せられることを。”

「裁判なんて一生涯関係ないと思っていたのに、自分がこういう所に立つなんて...とも思ったが、せざるをえなかったんです」と、裁判後の交流会にて言われました。勇気を出して証言台に立ってくださったあきさんの語られた福島の「現実」を常にかみしめていきたいと思います。

裁判官よ、真正面から受け止めよ!

福島の声を陳述する橋本あきさん

4月から代わった佐賀地裁の裁判長


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 行政訴訟弁論では「原告適格」について被告・国への反論を行いました。被告からは基準地震動二重基準問題についての原告主張への反論があり、いよいよ論争になってきたところです。
 全基差止弁論では被告九電が、配管ひび割れを起こしていた「余剰抽出系配管」の点検補修状況についての主張をしてきました。原告からは10月30日の「追加提訴」の訴状と同じ中身で「請求原因の整理申立書」を出し、これまでの論点を整理しました。次回までに被告が反論を出してくることになります。
 3号機仮処分については3・4号機の再稼働準備が進められる中、次回あらためて「保全の必要性」を主張することとしています。

★原告になれるのは「100ミリシーベルト超の被ばく」の蓋然性!?
 行政訴訟では、被告・国が「原告適格」の判断基準という「入り口論」を持ち出してきています。いわく、「年間100ミリシーベルトを下回る被ばく線量ではがんの発症率が有意に上昇するとの疫学的報告は存在しない」「人は1ミリシーベルト程度の被ばくを受けたとしてもその生命、身体等に直接かつ重大な被害を受けることにはならない」と。つまり、原発事故において100ミリシーベルトを超える被ばくを受ける蓋然性がなければ原告適格はないと主張しているのです。
 これに対しては原告は津田敏秀・岡山大学教授の「今もなお日本国内のみで続く科学的根拠のない100mSv閾値論」(岩波『科学』2015年9月号)を証拠として示しながら、「原子力規制に責任を負うべき国であるということを自覚した上で、本件訴訟においても立場をわきまえた主張をなすべきものと釘を刺しておきたい。被告の主張は、事業者においてICRP勧告に基づく年間1ミリシーベルトという実行線量限度を守らず、周辺住民を過剰被ばくさせるような蓋然性があったとしても、原告らが本件訴訟で求める規制権限を発動しないかのような立場に立っているかのよう」(原告準備書面(3))だと批判しました。
 福島では今、甲状腺ガンが頻発している上に、住民の「帰還」基準が本来1ミリシーベルトであるべきところ、20ミリが基準とされてしまっています。国の言い分は、原告適格の問題を超えて、一般的に100ミリ以下の被ばくを許すというとんでもない話になっているのです。暴論を許してはなりません!

★裁判日程
2月5日(金)佐賀地方裁判所
10:30 行政訴訟第8回口頭弁論
11:00 全基差止第15回口頭弁論
11:30 3号機仮処分大18回審尋

4月22日(金)佐賀地方裁判所
14:00 行政訴訟第9回口頭弁論
14:30 全基差止第16回口頭弁論
15:00 3号機仮処分大19回審尋


陳 述 書

2015年11月20日

佐賀地方裁判所 御中

住所 福島県郡山市 

氏名 橋本 あき  

 

1.私は福島県郡山市在住の橋本あきと申します。郡山市生まれで、あの年までどこへも移住を考えたことはありませんでした。
 私は若いころは政治的なことにはまったく興味も関心もなく、福島に原発が建っていることさえわかりませんでした。今のように関心が高まってきたのは子どもが産まれてからのことでした。1991年1月、湾岸戦争の時「生まれてくるわが子が戦争に巻き込まれる」「平和なはずの日本が戦争になったらこの子は無事に育てられるのだろうか」と、心配しつつ毎日のニュースや新聞に目を通すことになりました。それにやっと生まれたわが子は酷い乾燥肌で生まれてきたことが、社会的に関心を持つきっかけになりました。
 当時は県営団地に住んでいました。そこには環境破壊、食物アレルギー、電磁波などに詳しい人たちがいて一緒に勉強するようになり、その中で原発が福島にあることを知り学ぶようになりました。1999年の東海村JCO臨界事故の時は「福島県は遠く離れているから大丈夫」なんて愚かなことを考えていました。やはりこの事故がより一層「原発は危険なモノ」と意識し始めた頃でした。
 その年にささやかなマイホームを建て念願の家庭菜園を始めました。日立地所が開発名目で山をならし切り売りしていた山土だらけで草一本生えていない不毛な庭でした。化学肥料は使わず、EM菌で土改良に3年位かかりました。春には色んな芽吹きが楽しくて、何でもEMバケツに放り込み土に返していました。勝手に生えてくるトマトやジャガイモ、いつの日か小鳥が運んだのだろうかニラも根付き、それも食べていました。そんな平穏な年が続いていました。

2.2011年3月11日は娘が孫を産んで帯明け間もなく、自宅で安穏と過ごしていました。午後2時46分、大地震が来ました。電気は点いていましたが、ガスと水道が止まり、ついで東京電力福島第1原発の爆発事故が起こりました。放射性物質が県内外に飛び散り土も水も空気も汚染されてしまいました。私の小さな菜園も汚染されて何もかも食べられなくなりました。私の規模はほんの少しですが、農業で生計を立てている人たちは一瞬にして何代も続いて守ってきた田んぼや畑が汚染されました。臭いも味も色もない放射能が東日本中にふりかかりました。
 いつ頃かは忘れましたが県内市内の放射能の数値が毎日報道されるようになりました。うちは郡山でも東部地区なので幾分低い安全地区だと言われていましたが、果たしてどの位なのか不安になりましたが測る手立てがありませんでした。しばらくしてから無料でガイガーカウンターを貸出しているレンタルショップのことを知り、自宅を測りました。
 2011年7月11日の記録では―― 庭0.65μSv/h、玄関0.41μSv/h、雨どい1.1μSv/h、西側空き地0.86μSv/h、居間0.33μSv/h。(先日、知人が佐賀地裁前で測ったら0.06μSv/hだったそうですが、原発事故がなければ0.1μSv/h 以下と言われています)
 確かに郡山市中心地よりは低いなと、ちょっと愚かな安心をしました。家の中の平均0.3μSv/hを見れば、赤ちゃんをここに置くわけにはいかないと悩みましたが、すぐには避難できないいろんな事情も加わり泣く泣く被曝してもここで暮らしていこうと決めました。でもそんな毎日を暮らしていても、「這えば歩めの親心」という言葉がありますように、赤ちゃんがハイハイをして立ち歩く過程を考えれば、こんな異常な土地で育てることは許せないことであり人格形成にも支障があるのではないか、早く娘親子を避難させたいと強く思っていましたが、やっと転機が訪れたのは2012年1月、娘と孫は福岡へ避難することになり現在に至っております。

3.4年と8ヶ月過ぎた今でも除染が各地で行われていますが未だに放射性物質が入れられたフレコンバッグはそのまま街のあちこちにただ置かれています。
 私は郡山駅交番前で「原発再稼働反対の1人デモ」をたまにしています。ポスターを掲げ1時間のサイレントスタンディングで、ガイガーカウンターを地上1m位に持ち立ちます。今でも0.3~0.6μSv/h前後はあります.(樹木の根っこは約1.2μSv/h)。ちょっと離れた駅前広場に置かれているモニタリングポストは最近では約0.20μSv/hの表示です。郡山駅近くの空き地にもいつの間にかフレコンバッグが置かれ仰々しいカバーがつけられた場所もあります。同じ敷地のすぐ隣では老人たちが楽しそうにゲートボールをしている姿も見受けられます。最終処分場も決まらず自宅の庭先にそのようなものが置かれていること自体が異常地帯である証拠であり、恐怖の代物なのです。
 郡山駅東側には広さが1900㎡の「ペップキッズこおりやま」という子どもたちが室内で遊べるホールがあります。2011年12月にこの地で子育てをして生きていく選択をした親たちの要望で作られました。学校の校庭や公園で遊べない子どもたちが整理券を貰い、時間を区切られ、管理されて遊ぶさまは異様な空間でした。ここを中心に郡山の東西南北4か所に同じような規模のホールが作られる予定でしたが、去年の暮れに ≪ 復興のじゃまになる・お金がない ≫ ということで消えてしまいました。私は作るべきか否かは言えませんが、これも放射能さえなかったらと思う悲しい出来事でした。

4.当時の福島県内のテレビは津波で被災された方々のニュース、官房長官の「原発事故はただちに影響はない」が主で、福島がどうなっているのか地元に住んでいてもほとんどの情報はありませんでした。ガソリンがない、道路が陥没してあちこちが通行止め、物流がストップなのでスーパーやコンビニには品物がない、その合間に大小さまざまな余震もあり落ち着かない日々が続いていました。私は津波や原発立地の強制避難させられている人たちに比べると自宅で暖をとれているので贅沢をいえないとさえ思い、原発の勉強をしているつもりでいても実際すぐに動けなかったことは、自分の判断力と決断力に欠けていたと恥ずかしい悔しい思いもあります。
 今、九州電力玄海原発の再稼働の囁きが聞こえてきていますが、いっとき原発事故が起これば九州全土や四国、山陰地方まで放射能に汚染され、避難する場所も時間もないのではないでしょうか。
 日常的なことですが想像してください。洗濯物やふとんは外に干せない、外出するときはマスクをする、靴は帰宅の度に底を洗う、窓は閉め切る、換気扇や掃除機は使わない、極めつけは子どもは外で遊ばせない、等々の指示が発せられることを。

 先日11月1日の福島民報に「原発再稼働で1基最大25億円、経産省が新交付金」との記事がありました。立地自治体へ交付金を手厚くすることで再稼働に対する地元の同意判断を促す狙いがある、と。これほど福島をバカにした政策はないでしょう、お金の使い方が間違っています。原発を進める方にはお金を切れ目なく使い、子どもたちを守る方の健康被害や避難の権利も無視し続けている現状を何故、思慮深くしないのでしょうか。
 今、東電福島原発がもたらしている事件をやっと起訴できた福島原発告訴団、廃炉作業問題、焼却炉問題、地層処分問題、住民分断など何一つ解決できない現状から見ても玄海原発の再稼働はありえません、即刻止めるべきです。第2のフクシマを作ってはいけません。福島を繰り返してはなりません。私たちのような被害を受ける県を作ってはいけません。

原発事故が起きれば政府や国は責任をとらない、嘘をつくのは常套手段であることは東電福島事故事件がうらづけています。どうぞ裁判官のみなさま、感慨深い判断をお願いいたします。

以上

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意見陳述 橋本あきさん
2015年11月20日
20151120意見陳述橋本あき★.pdf
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裁判書面

過去の書面はコチラから

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請求原因の整理申立書
2015年11月5日(原告提出)
20151105請求原因の整理申立書★.pdf
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玄海全基被告準備書面6
2015年11月13日(被告提出)
20151113全基被告準6★.pdf
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被告答弁書
2015年11月13日(被告提出)
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行政被告第6準備書面
2015年11月13日(被告提出)
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準備書面(3)
2015年11月13日(原告提出)
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報道

朝日新聞